頭はいいけど生き方を間違える人

落ちぶれた高学歴の人へ
を読んで。

頭がいい人っていうのは、幼少の頃から周りと比べて自分が賢いと感じる機会がとても多い。更に、周りが苦労している勉強も、大した苦労もせずにできてしまうので、ある種の超人感を得られる。そういう、"アドバンテージ"をもらった人でも、人生がうまくいかないこともあって、悩んでいる、というおはなし。

頭のいい人のデメリット

頭がよいからって、いいことばかりではない。というと、大抵の人は、怒りや嫉妬を覚える*1。けれど、確かに、頭がいい人ならではの悩みは存在する。

  • 教育の基準が低い

公立の義務教育は平均的よりも低い基準の生徒に合わせた教育方法なので、非常に無駄に感じる。既に知ってることや、1回言われればわかることを、反復練習させられるのは、ただただ退屈だ。私の感覚では、中学までの範囲ならば、教科書で自習したほうが早いペースで学習が進んだとおもう*2

  • 周囲と価値観が合わない

低俗だと感じるものに喜んだりしているのを見るのが寂しい。また、何か欲求があるとして、損得で考えれば、我慢していたほうがよいのに、衝動的に行動してしまう人がいるが、いわゆる、動物的、野性的な行動が理解できず、不快である。

  • 辛い体験をする機会が少ない

ある程度適当にやっていても、学級の中では優等生でいられるので、人生がぬるく感じる。周りが苦労しているのを見て、ばかだなあ、と思う。実際は、苦労するという機会を失っているため、成長スピートが遅くなる。

頭のいい人のつまづき

  • 努力や、習慣などを軽視しがちになる

苦労せずとも標準以上の成果を出してきたので、努力や習慣などを不必要なものだと思っている傾向にある。しかし、人間の頭脳の一部は、記憶力や計算力など、PCを使いこなすことで補うことができる。大人になって頭脳だけで多くの情報を処理する必要性がある場合、いくら頭がよくとも、PCには敵わないだろう。

  • 周囲の人間が理解できない

働く、ということは、多くは、他の人の役に立つということだ。商品を販売するならば、ロジックとして正しいよりも、人々がどういうものを欲しがっているかを重視するほうが、売れるものが作られやすい。頭のいい人は技術バカになりがちである。大事なのは、どれだけ多くの他者を理解できるか、だ。価値観が合わないからといって、コミュニケーションを避けていては、広いユーザを相手に商売はできない。

  • 失敗を対処できない

失敗を経験しなければ、どれくらいの加減で失敗するかわからないし、失敗した時にどのような行動をとればよいかわからない。若くて守るべきものが少ないうちに、失敗を重ねておくことが、後の自分の財産となる。このような経験がないと、いざ失敗したときに然るべき行動がとれない。

頭のいい人がより賢くなるには

真面目な人間であるとして、ある集合の中で上位にいるものは安心して手を抜きやすいし、下位にいるものは危機感を持って成長しようとする。結果、多くの人は平均に向かうことになる。なので、周りが自分より賢い人ばかりの環境に飛び込むのが一番だ。ただ、プライドが高い人は挫折するかもしれないので、自分が平均か、ちょっと下くらいに位置するくらいがちょうどいい。


また、他者*3を理解することが重要だ。はてなは多角的なコメントが集まりやすいという、非常に恵まれた環境にある。いくらとんちんかんな意見だったり、見てて不快な意見があろうと、その個人の中で筋が通ったものであるならば、価値がある。世の中にはそういう人がいて、そういう考え方があるということを知ることができる。こうやって他者を理解することがコミュ力増加に繋がり、日々のストレスが軽減される。


やり直すのはもう遅い、という意見もあるだろう。それでは、10年後の自分が、10年前にこれをやっておけばなあ、と後悔する姿を想像してみよう。そう、今は正に、10年前にタイムスリップしているのだ。10年前にさかのぼって、未来の過去を取り戻すチャンスなのだ、と考えれば、行動できることがきっとあるはずだ。

自分の場合

大学入学からしばらくは同じようなコンプレックスがあったが、4年の春に『はてな』の巡回を始め、色々な意見を触れるようになって、変わることができた。よりレベルの高い集団や、全くの畑違いな集団に飛び込んで挫折を経験した。今の自分はまあまあ充実している。これからも努力を怠らず成長を続けていきたい。

*1:美人にも辛いことはあるのよ、に近い

*2:実際に授業なんて聞かずに問題集解いたり、静かに遊んでいたが、成績はよかった

*3:特に自分と違う価値観をもったもの

知的プライドの高さは、根拠のない自信へ変えればよい

落ちぶれた高学歴の人へ
からの
落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト
を読んで。

ちなみに「知的プライドが高い人」って俺の造語だけど、要するに自分は頭がそこそこいい、っていうプライドを捨て切れない人のこと。

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

知的プライドが高い人についてのおはなし。

知的プライドが高い人になるには

どうやったら知的プライドが高い人になれるのだろう。感覚的には、"特に努力しなくとも人が苦労してしまうものが出来てしまう、という体験が多い"というものではないか*1。もしくは、自分の"IQ"という定量的なものを知ることがきっかけになるかもしれない。

元増田の場合は、

自分は高学歴というほどではないけれど、まあまあの大学を出ている。が、もともとの怠惰な性質やコミュ力に難がある

落ちぶれた高学歴の人へ

という表記を見るに、努力せずとも勉強できるタイプだったのだろう。つまり、知能指数が高いということである。

知的プライドが高いと困ること

自分の能力が高いと思うたびに、プライドがくすぐられて気持ちいいのは
わかるけどさ、それって単なるオナニーだから。

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

結局、言い訳じみているというか、負け犬が愚痴っているというか、かっこ悪い。オナニーは一時の快楽と引き換えに時間や金を奪うものだ。次に繋るものではない。かっこ悪いだけならまだしも、非生産的である。非生産的なのは愚かだ。だが、オナニー以外の用途がないだろうか。

それって、別に成功へのバネにもならないから。
むしろ、邪魔になってるから。
だって、自分が成功しない理由って、基礎能力以外のところにあるって、
もう気付いてるわけでしょ?

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

元増田にとっては邪魔になっているのだろう、と増田の目には見えたのだろう。これは事実かもしれない。

だが、私の場合は違った。邪魔になることもあったが、今では有効活用できている。

知的プライドの高さを活かす

自己の基礎能力が他者より優れているとしよう。ならば、他者と同じことをやっただけで、他者より能力を高めることができると考えられる。真似をするだけで、お手本を必ず超えることができる*2!だから、周りと一緒のことをしていればいいんだよ。それだけで自分の優秀さを確認できる。優越感。

また、新たなことを始めるにしても、自分の能力に自信があれば、人よりも楽にできるんだろう?そう考えれば取り組んだほうが得じゃないか。その自信はどこからわいてくるんだ、といえば、それは自分の能力や可能性を信じているからなんだよ。自信っていうのは武器になる。


知的プライドの高い人間なら、自分の高い基礎能力を根拠に、自信を持てるだろう!

知的プライドが高い人は

知的プライドは足枷になるかもしれないが、自信の源泉にもなりうる。多少手を抜いても能力で補える、と思うのは愚かだ。人並の努力を重ねるだけで他者以上の成果をあげられる、と考えたほうがよい。志高く、前向きに、貪欲に、上を目指すことで、与えられた"アドバンテージ"を活かすことができるようになる。

いくら基礎能力が高くても、元手になる賭け金が高いというだけで、
この100倍っていう努力の倍率は変わらないんだと思うよ。

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

と、あるが。元手の掛け金が高いぶん、努力の倍率は80倍で済んだりするんだよ。それが与えられた"アドバンテージ"なのだから。100倍に磨いている人のそばで、80倍くらい磨くだけで劣等感はなくなる。一緒に100倍磨けば、オナニーせずとも快感を得ることができるだろう。

※追記
続きを書きました。
知的プライドの高い人が、本当の意味での頭のいい人になるには - 鍵壺のWeblog

*1:運動にも置き換えられる。何でもいきなりできちゃう人、みたいな

*2:実際には全てを真似しなければならないが