知的プライドの高さは、根拠のない自信へ変えればよい

落ちぶれた高学歴の人へ
からの
落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト
を読んで。

ちなみに「知的プライドが高い人」って俺の造語だけど、要するに自分は頭がそこそこいい、っていうプライドを捨て切れない人のこと。

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

知的プライドが高い人についてのおはなし。

知的プライドが高い人になるには

どうやったら知的プライドが高い人になれるのだろう。感覚的には、"特に努力しなくとも人が苦労してしまうものが出来てしまう、という体験が多い"というものではないか*1。もしくは、自分の"IQ"という定量的なものを知ることがきっかけになるかもしれない。

元増田の場合は、

自分は高学歴というほどではないけれど、まあまあの大学を出ている。が、もともとの怠惰な性質やコミュ力に難がある

落ちぶれた高学歴の人へ

という表記を見るに、努力せずとも勉強できるタイプだったのだろう。つまり、知能指数が高いということである。

知的プライドが高いと困ること

自分の能力が高いと思うたびに、プライドがくすぐられて気持ちいいのは
わかるけどさ、それって単なるオナニーだから。

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

結局、言い訳じみているというか、負け犬が愚痴っているというか、かっこ悪い。オナニーは一時の快楽と引き換えに時間や金を奪うものだ。次に繋るものではない。かっこ悪いだけならまだしも、非生産的である。非生産的なのは愚かだ。だが、オナニー以外の用途がないだろうか。

それって、別に成功へのバネにもならないから。
むしろ、邪魔になってるから。
だって、自分が成功しない理由って、基礎能力以外のところにあるって、
もう気付いてるわけでしょ?

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

元増田にとっては邪魔になっているのだろう、と増田の目には見えたのだろう。これは事実かもしれない。

だが、私の場合は違った。邪魔になることもあったが、今では有効活用できている。

知的プライドの高さを活かす

自己の基礎能力が他者より優れているとしよう。ならば、他者と同じことをやっただけで、他者より能力を高めることができると考えられる。真似をするだけで、お手本を必ず超えることができる*2!だから、周りと一緒のことをしていればいいんだよ。それだけで自分の優秀さを確認できる。優越感。

また、新たなことを始めるにしても、自分の能力に自信があれば、人よりも楽にできるんだろう?そう考えれば取り組んだほうが得じゃないか。その自信はどこからわいてくるんだ、といえば、それは自分の能力や可能性を信じているからなんだよ。自信っていうのは武器になる。


知的プライドの高い人間なら、自分の高い基礎能力を根拠に、自信を持てるだろう!

知的プライドが高い人は

知的プライドは足枷になるかもしれないが、自信の源泉にもなりうる。多少手を抜いても能力で補える、と思うのは愚かだ。人並の努力を重ねるだけで他者以上の成果をあげられる、と考えたほうがよい。志高く、前向きに、貪欲に、上を目指すことで、与えられた"アドバンテージ"を活かすことができるようになる。

いくら基礎能力が高くても、元手になる賭け金が高いというだけで、
この100倍っていう努力の倍率は変わらないんだと思うよ。

落ちぶれた「知的プライドが高い人」と受験というスポーツテスト

と、あるが。元手の掛け金が高いぶん、努力の倍率は80倍で済んだりするんだよ。それが与えられた"アドバンテージ"なのだから。100倍に磨いている人のそばで、80倍くらい磨くだけで劣等感はなくなる。一緒に100倍磨けば、オナニーせずとも快感を得ることができるだろう。

※追記
続きを書きました。
知的プライドの高い人が、本当の意味での頭のいい人になるには - 鍵壺のWeblog

*1:運動にも置き換えられる。何でもいきなりできちゃう人、みたいな

*2:実際には全てを真似しなければならないが