相手の考えを想像する努力が、自分の幸せに繋がる
気持ち悪いを読んで。
人間は、自分が理解できないことに直面すると、ストレスを感じる。考え方を変えられれば、ストレスは回避できるようになる。他者を理解することで、自分にかかるストレスを軽減しよう。
あいつら、何にもわかってないんだ!
傍からみると、年少者を嘲笑う年長者は、年少者以上に愚かだ。おとなげない。
例えば、小学生の行為を嘲笑う中学生というのは、よく見られる光景だ。だが高校生になって、あらためてそういう光景を外からの視点で見ると、ああ、あの中学生も恥かしいことやってるな、と感じる。多くの人は中高生時代にそれに気がつくので、大学生になったときは、ある程度バカなことをやってもよいんだとわかっていて、バカなことをできるような奴は、充実した青春やら大学生活をおくることができる。
社会経験がそこそこの『社会の先輩』が、社会人年齢0歳の『新入り』の行動を、気味が悪いと思うのは当然だろう。なぜなら、前提条件が違うのだからだ。社会というものに対して、知識や経験が劣っているからだ。大人から見て、小学生の世界は理解しがたいものがあるが、小学生の世界の中では極自然で成立している。 同じように、『新入り』の世界の中では成立していて、たいして気味が悪くもないのだ。
結構、福利厚生に重きを置いてる会社で、研修でも産業医からメンヘル予防みたいな講義があって。で、大多数が「うつ病なんかなるわけねーじゃん」みたいな反応。おまえらアホかと。間近で、元々目がキラキラしてハキハキ話してたような人間が半年くらいで死んだ魚の目みたいなうつろな目になって、話す際には顔も合わせずボソボソとしか話さない様を見たことあんのかと。まぁ、別の世界の話なんだろうね。
気持ち悪い
何にもわかってなくて当然。気味が悪くて当然。だけど、『新入り』の判断が間違っているとは思えない。もし、『新入り』が『社会の先輩』と同じ、知識や経験を持っていたとして、そのような気味が悪い行動を取るだろうか。おそらくは取らないだろう。何もわかんないなりに、至極まっとうな行動を取っているだけなのだ。
で、普通の人は、俺もああいう時期があったよなーなんて思って、許せてしまうもんなんだ。
他者を批判することが、自らの無能さを露呈することにつながる
年少者を理解できない年長者は、どういう風に評価されるか。
- 他人にたいする理解力が足りない
- 昔、そういう経験をしたことがないのだろうか、よっぽど優秀な人間なのか、よっぽど寂しい人間なのかだろうね
- 多様な価値観を想像し、受け入れられないんだ
- 器が小さいねえ
共感力とでもいおうか、集団行動に必要なものが欠けていると評価されるだろう。
増田はぎゃーぎゃー騒いで批判しているけど、その姿、傍から見れば、よっぽど哀れだ。他者への理解が圧倒的に足りていない。自分の見える世界だけが全てで、他人の見える世界が想像できないのだろうか*1。想像できないとして、自覚がないのだから、ぎゃーぎゃー騒ぐことに抵抗がないのだろう。
理想なんて投げ捨てちまえ
世の中はマジョリティ向けに出来ている。頭のいい人*2はマイノリティだ。頭のいい人にとっての理想の世界は、頭のいい人がマジョリティな世界なのかもしれないけれど、現実はそうはならない。世の中のマジョリティのために働かなければならないんだ。
頭のいい人は、マジョリティが当たり前のように経験する失敗を経験せずに生きている人が多いので、マジョリティを理解する、というのは、機会に恵まれなければ難しい。かといって、だから仕方ないんだ、と現状を改善しないのでは、生きづらい世の中で一生を過ごさねばならない。それは当人にとって幸せではないだろう。
『実現不可能な目標は、不幸の種』だ。早くそんなもの投げ捨てて楽になれ。理想の世の中を諦めるのは、人のためじゃないとも思うかもしれないけれど、叶わない理想を追いかけるより、現実を少しでも改善していくほうが、結局は世の中のためになるのではないだろうか。不幸の種を握りしめて離さず、ストレスを溜めては撒き散らすような人間は、迷惑だ。本人がマクロな視点で世の中のためになろうと思っていても、身近な人の協力を得られなければ実現できない。
まずは、『実現可能な目標』をセットすることから始めよう。さすれば、他者を受け入れられるようになる。自らのストレスが軽減される。いいことずくめだ。"みんながいいこ"の世の中を目指すよりも、"ひとりでもおおくのいいこ"を増やすために行動することが、自らの幸せに繋る。