ずっと前から、私は、井の中から跳び出していたのであった。
明日は朝早いんだけど、田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながらを読んで、無性に書きたくてたまらなくなったので、今から書く。
私の人生の節目には、よく似た2択の岐路が3度現れた。高校受験、大学受験、研究室選択だ。どれも共通しているのは、2択となる選択肢の内訳で、
井の中の蛙は幸せ者だ - 鍵壺のWeblog
"自分に相応しいレベルで、入るには多少のリスクが伴う"
or
"自分にはもの足りないレベルで、入るためのリスクがほとんどない"
というものだった。わたしは、常に後者を選んだ。3度とも蛙の道を選んだのだ。
なんてこったい。重大な勘違いだ。『蛙』が『井の中』にいるかどうかは、偏差値など組織のレベルや規模で決めるのではないのだ。その組織で自分が選ぶことのできる選択肢の幅広さで決めるものじゃないか。
実は、私は、幸福感に包まれている
高校受験、大学受験、研究室選択での2択で、自分が選択した道を後悔しているのかといえば、
家庭の事情もあるが、受験勉強を真剣にしなかったことは今でも悔やんでいる。
人生のifルート - 鍵壺のWeblog
じゃあ今の自分に不満を持っているかといえば、割とそうでもなく、現実に折り合いをつけてやっていると思う。
だけど、自分の人生のifルートって、夢見ちゃうよなあ…。そんなの、考えれば考えるほど不幸になるに決まってんのに。
非生産的な考察イクナイ!現実に立ち向かおうぞ!
と、書いているので悔みつつも考えないようにしている。実際、後悔しないために、もう一方の選択肢を選んだ自分の、下位互換だけにはならないよう、色々とチャレンジしてきた。
高校のランクをひとつ落としたがために、勉強に分配されたであろうリソースを運動部にまわすことができた。運動に対するコンプレックスを解消できたし、後の大学のサークル活動に繋がる。
大学のランクを落としたがために、家族との交流を増やすことができた。妹や弟の人生に大きな影響を与えることができた。
研究室のランク*1を落としたがために、自由時間を有効利用してサークルでかけがえのない経験ができたし、自己を考察できる自由な時間を得て、価値観を大いに更新することができた。今、こうやってこの文章を書いているのも、今の研究室に所属したがためだろう。入社予定の企業に決まったのも、間違いなく今の研究室のおかげだ。
こう眺めてみると、ああ、 結構しっかりやってるな、と思う。今の友達に囲まれているのも、この選択あってのことだし、自分では今の状況を「充実している」*2と言い切れるので、幸せな傾向にあるのだろう。もうひとつの選択肢を選んだ自分と比較して幸せか、というものは、確認のしようがないが、今の自分に満足しているのであれば、いいじゃないか。あとは、考え方の問題だ。
私の就活における『井の中の蛙』の道とは
そもそも、地方で実家住まいの自分にとって、井の中でぬくぬくと過ごす選択肢として真っ先にあがるのは、そのまま地元で働く、という選択だった。まず、土地と家がある。家族がいる。みんな仲がよいので、楽しい生活を続けられるだろう。お金の心配もない。むしろ多少給料が少なくとも生活費がかからないのであるから、高い給料で首都圏で一人暮らしするよりも、お金がたまるかもしれない。もはや最高の福利厚生である、といっても過言でもない。地元で働くという選択肢は、まさしく『井の中の蛙』の道であった。
都会には、可能性がある。夢がある。
しかし。
私は、早いうちから首都圏で働くことに決めていた。地元企業には一切見向きもしなかった。首都圏を志望した理由はいくつかあるが、id:Hash氏の挙げた、
まず第一に取り上げたいのは、東京にいると機会の数が(文字通りの意味で)桁違いに多いということ。アンテナに引っかかる情報量がそもそも違うし、アクションの選択肢が豊富にある。
田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら
人口という母数が多いからか、流動的な人付き合いの中でトラッピングされて類は友を呼ぶのかはわからないが、東京にはとにかくおもしろい人が多い。上下幅の大きな出会いがある。
田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら
この2要素が非常に大きい。
…現実はそうもいかない。荒れ狂う情報洪水は私を飲み込み、凄まじい勢いで、世界最高峰を観測できる場所まで押し流す。知ってしまったことで、幸福の器の上限が拡張されてしまう。もう、より上の世界を知らなかった頃の自分には戻れない。上を知ることで、相対的幸福を失ってしまったのだ。
井の中の蛙は幸せ者だ - 鍵壺のWeblog
もう2年くらい、はてなのホッテントリを巡回しているのだけど、当然『井の中の蛙』ではいられない。井の中に居ながら、地表が透けて見えるのだ。
ネットにより機会は平等になったと思いきや、むしろネットを活用して情報を得る習慣を持ちアンテナが高い地方の人ほど、機会の不平等を切に感じるのではないかと思う。
田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら
○○オフとか、Twitterの「○○なう」「@hogehoge 私も○○なので会いませんか?」*3とか、超うらやましい。うちの地方で何ができるというのだ。*4
もしサーフィンとか山登り、スキーなどの環境依存の活動をやるなら、そうでもないのかな。
田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら
せいぜい、1限と4限の間のスキマ時間に、ひと滑りしてこれるくらいじゃないか。
実際、下位互換になりたくない私の、『趣味・特技欄』には、『スノーボード』と書かれていたりするのだが。
……。
わたしは実家住まいの割に貧乏(性)学生なので、積極的にお金を消費することに抵抗がある。移動費や宿泊費のことを考えると、東京で、というのは二の足を踏んでしまうのだ。しかし、近所で開催されるのであれば、喜んで参加できるであろう。もし東京に住んでいるのであれば、大抵の開催地は近所となる。とにかく、首都圏に住んで、ずっと指をくわえて眺めてた、楽しそうなイベントに参加してみたいのだ!
新社会人にそんな時間はあるのか
私が企業選びで重視した点は、いわゆるワークライフバランスというやつだ。自由な時間を常に確保して、ある程度自分の人生をコントロールしたい、それこそが幸福への道である、と思っている。前回エントリの井の中の蛙は幸せ者だ - 鍵壺のWeblogでは、ワークライフバランスがあるからここでよい、と納得していた自分の就職活動だったが、友達が受けていたのになんとなく乗っかって受けた業界最大手企業の選考がほいほいと進んでしまい、どうしよう、これは贅沢だ、まいったな。と悩んでいるものだった。そこで、
ワークライフバランス=ぬるま湯→井の中の蛙
業界最大手=荒波→井戸の外へ跳びだす
と例えた。だが、実際に働いてみれば、業界最大手では仕事に打ちこまざるを得ず、自由な時間を確保できない可能性が高い。そのため、選択肢の幅が狭まるかもしれない、という懸念があった。
そう、大地に一歩踏み出して、荒れ狂う野生へと向かってゆく選択肢は、自由時間の多い、当初、希望していた企業だったのではないのだろうか。
ずっと前から、私は、井の中から跳び出していたのであった。
勤務地を首都圏と心に決めている時点で、最初の井戸は跳び出していた。この大地はどこまで拡がっているのだろう。私にとって未知の世界である。ここからは、自分の足でなんとかしなければならない。私に生き抜く力はあるのだろうか。
今は、『覚悟』を持って臨むことができる。自分の決めたことは自分で責任を負うという覚悟を。これは今まで自分にはなかった武器だ。この就職活動を通して、出会った企業の方々、共に切磋琢磨した友人達、互いの顔も知らぬ方々が書いたWeb上のテキスト。色々な要素が混ざり合って、運良く、『覚悟』を得ることができた。これは、非常に心強いものだ!
きっと私は、これからもうまくやっていけるだろう。それは、どの選択肢を選んでも、ある程度はうまくできるのだろうが、ある程度を遥かに超える、『大成功大満足』になるかは、これからの自分にかかっている。