『自己説得』が『自信』を生み、『自信』は『行動』に繋がる

自分の力で『自信』を生み出し『行動』に繋げよう、というお話。

『自信』と『過信』

  • 『自信』とは、"自己を深く把握した上で、自分を信じること"
  • 『過信』とは、"自己に実際より高い価値を与えた上で、自分を信じること"

自身の力量をはっきり捉えることで、『過信』は『自信』に変わる。『自信』を持っているつもりでも、力量が伴わなければ『過信』だ。外からの視点がない限り、それが『過信』だということには気付けない。自分ひとりの時に『自信』と『過信』を見分けるのは、非常に困難だ。


有名なエントリに、

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

My Life Between Silicon Valley and Japan

というものがある。この言葉を信じて得られるのは、『自信』か、『過信』か。自らの力で見分けることはできない。


しかし、どちらであるかは大した問題ではない。得られたものが『自信』であろうが『過信』であろうが、両者に共通するのは"自身を信じる"ことである。そして、"自分を信じる"力が、自分を挑戦へと導く。

『自信』は、挑戦する動機となるもの

『自信』は、困難に向かって行動すべきとき、背中を押してくれるものだ。


未知なる物に対峙したとき、普通の人間は、まずは様子見から入り、リスクリターンを考慮して、立ち向かうべきか、退くべきかを考える。しかし、『自信』を持った*1人間は、退くという選択肢が無い。とにかくぶつかるのだ。分岐命令をひとつとばして、実行に移す。『自信』を持った人は、判断が早い。


行動に移すのが早ければ、より多くの挑戦の機会が得られる。若いうちは、いくらでも挑戦して、いくらでも失敗すべきだ。私は失敗を受け入れる。失敗することは、成功と失敗を分けるスレッショルドを確認するために必要なものだからだ。赤子は、この未知なる星で、この未知なる世界で、ひとつひとつ挑戦し、成功と失敗を繰り返して、成長していく。それと同じように、挑戦を積み重ねることで、自分の枠を拡げられる。若者も、失うもの、背負うものが少ないので、失敗できるうちにしておいたほうが良い。そう考えると、挑戦しない若者こそが、罪ではないだろうか。臆病者となり挑戦しないでいるよりは、『過信』して挑戦するほうが得られるものが多い。『過信』も、挑戦のための強力な動機となるのだ。

『自信』のレシピ

"自分を信じる"状態ならば、『自信』だろうが『過信』だろうが自意識過剰だろうが、何でもよい。とりあえず『自信』にまとめることにする。


自分に『自信』を持つにはどうすればよいか。一番、シンプルなのは、思い込むことだ。根拠無しに、できると信じることだ。しかし、そんな人間は危険ではないだろうか。判断能力に乏しい人間ではないだろうか。善悪の判断さえつかないのではないだろうか。


だから、結局のところ、自分自身で考えて、『自信』を持たねばならない。『自己説得』を行わねばならない。


ではここで、本日のメインディッシュを。
私の、『自信』レシピを紹介する。

  1. 自分をとりまく要素、事実、数値を、収集、可視化する
  2. 1.からロジックを*2組みたてる。自尊心を育む
  3. 『自己説得』する。受け入れの証を『行動』としてあらわす。

細かい解説を以下に続ける。

1.自分をとりまく要素、事実、数値を、収集、可視化する

まずは、自分を少しでも好きになるように、材料を集める。よいニュースを報道し続ければ、自分への好感度がどんどんあがってゆく。自分を褒めることは、過大評価に繋がるかもしれないし、甘えになるかもしれない。けれど、過小評価しすぎて塞ぎ込むよりは、よっぽど生産的なはずだ。そうやってこんな材料が集まったとする。

  • 健康、体力、若さ。
  • 知的好奇心旺盛、上昇指向。
  • 過去の学校での成績。自分の能力を示す客観的な指標。資格。
  • 満ち足りている環境。豊富な時間。自由。


これをやっていると、いくらかのネガティブな要素も集まってしまう。これらは、意識的に考えないようにしたほうがよい。より深いところまで考えてしまうと、そのネガティブな縛りから抜け出せなくなる。

2.1.からロジックを組みたてる。自尊心を育む

言いがかりでも何でもいいから、とにかく1.の要素を使って、自分を正当化する。挑戦を褒めまくる。自分でロジックを作り、それを信じる。ここで注意しなければならないのは、ある程度、論理に正当性を持たせなければならない、ということだ。ここで作るロジックは、挑戦し続ける上で、心の拠り所となるものなので、説得力が必要だ。

  • 若さ。若い、つまり、やり直せるチャンスが残されているうちに、背負うものが少ないうちに、多くの失敗を経験しておけ。許される領域、許されない領域を分けるスレッショルドを、経験的に会得しておけ。そう考えれば、失敗を経験することは、ポジティブなものだと考えられる。初めての失敗を喜んで受け入ることができる。ただし、成功にしろ失敗にしろ、行動しなければ発生しない。だから、行動しよう。
  • 健康、体力。人間はいずれ老いていくものであり、20代の今が、健康面、体力面からみても、もっとも充実した時期である。ネトゲやら読書なんかのインドア娯楽は後になってもできるわけで、知識や勉強は一生ものだし、どうせ会得するなら若いうちのほうがよい。だから、最も効率よいのは今勉強することだ。
  • 知的好奇心旺盛で上昇指向がある、ということは、世の中のいろいろなものに自ら触れられる機会を増やせる可能性を秘めている。これは、スペシャリストというよりオールマイティへの生き方だが、どちらにもなれない人は大勢いる。オールマイティな自分を目指して多くの業界を知り、別業界の2つのものを組み合わせ、その分野のスペシャリストとなろう。
  • 過去の自分の成績。IQテストで○○○だった。この数値ならば、人と同じことをしても、大抵の人よりは、多くを学べ、吸収でき、得るものは多い。
  • 今、大学生という立場で、非常に縛りの少ない研究室にいて、毎週がゴールデンウィークのような生活をしている。とにかく自由な時間が多い。


ここで、1.のフェーズで生まれたネガティブな要素も、正当化できそうならば、してしまう。

  • 彼女がいないことは、逆に言えば、背負うものが少ないということだし、目の前のものに集中できるということだ。独り身のうちにやったほうが効率のよいものは、沢山ある。
  • 研究成果は上がっていないのも、教授からのプレッシャーがないからだ。逆に言えば、好きなことをして遊んでいてもお咎めなしで、好きなことに集中できる、最高の環境だと考えることができる。
  • 実家で暮していると、家族の介入によって集中をさ妨げられるが、生活に必須な家事をやらなくてよいので、多くの時間を節約できる。


自己に興味を持つこと。自己を大切に思うこと。自己を信じること。自己を愛すること。自己の価値を見いだすこと。これらが、『自尊心』を持つことだ、と私は解釈している。このフェーズを通じて、『自尊心』が生み出される。

3.『自己説得』する。受け入れの証を『行動』としてあらわす。

『自尊心』を持ち、自己を納得させられるロジックが作れたのなら、あとはそれを受け入れるだけだ。

  • 効率の良さ、という点からみても、今やるのがベスト。だからやるしかない!

受け入れたしるしとして『行動』におこす。最初の一歩を踏み出す。こうして、挑戦が始まる。

最も重要な能力は、『自己説得力』

2.では様々なロジックを作った。ここで何如に"それっぽい"言い掛かりが作れるかの能力が、『自己説得力』だ。これが上手ければ上手いほど、『自信』を持ちやすくなる。そしてこの能力を向上させるならば、何にでも褒めるとよい。褒めるというポジティブなパワーこそが、『自己説得力』に繋がる。


私は、自分に『自信』を持つ人間だが、その『自信』は、頭の中でロジックをこね繰り回すことで、作り上げたものだ。綺麗事だろうが何だろうが、褒められて、おだてられて、正当化する。第三者視点から客観視する自分を作り出し、その自分から、自分へと"お墨付き"をもらうことで、『自信』を持つようになる。そして、その『自信』は行動するためには充分なものである。

実現不可能な欲望は捨てる

どんなに修行しても、かめはめ波を出すことはできない。


実現不可能な目標を持つこと、実現不可能な理想を求めるという行為からは、何も生まれない。答えの出ないものに対して、考えこみ、硬直してしまうのは、最悪だ。そういうものは、気になったとしても、意識的に考えないようにすべきだ。どうしても意識から離れないのであれば、趣味かなんかに没頭し、心を休める時間を作るべきだ。


"人生無い物ねだり"。常に満ち足りていない状態が自然である、と私は受け入れる。他人のものを欲しいと思うのは当然の欲求であるので、それとどう付き合うかが重要だ。だから私の理想の姿は低いレベルに設定してある。『自己の能力に不満を持ち、自己の行動に満足する。』というのが理想の姿である。


行動せねば手に入らない能力を、欲しい、欲しい、と嘆いていてもしょうがない。もし、その能力に向かって行動しているのならば、今できることをやっているのならば、それで充分でないだろうか。それ以上のものは自分には求められないだろう。たとえまだ能力を得ていないとしても、最上の選択肢である、『行動』ができているのならば、その瞬間はそれで満足してもよい。


失敗は悪ではない*3。行動によって、成功、失敗のいずれかの善が生まれる。
『行動』自体が善なのである。そして、行動しないこと、が悪なのである。

このエントリ自体が、『自己説得』である

このエントリも、あのエントリも、客観的事実や正当化されたロジックを並べて、自身を説得するために書いている。そうやって、自分から自分へと与えられた"お墨付け"によって、やっと、行動しようという気持ちが持てる。わざわざこんな文章を書くことが面倒なようにも見えるが、論理武装することで、最後まで投げ出さず、やり遂げることができるのだから、案外、コストも安いものだ。

現状肯定の自己正当化と、綺麗事だらけの理想論。戯言からは何も得られない。ただ行動と、目に見えるその「結果」だけが意味を持つ。

"中二病"の通用しない、行動と結果だけが意味を持つ世界 - ミームの死骸を待ちながら

とても共感した。戯言は、あくまでも行動するための、ひとつの材料に過ぎない。このエントリだってそうだ。書くことで、何かが進むわけではない。行動に移さない限り、無駄なのである。戯言を生むことが目的ではない、『行動』することが目的なのだ。それは、絶対に、忘れてはならない。


ということで、リアルに充実を感じている私は、『自信』を持って『行動』している。『行動』自体を正当化することで、私は毎日を幸福感に包まれて生きている。まだ、手に入ってないものはたくさんあるが、自分の『行動』に納得しながら生きる人生はとても楽しい。こうやってポジティブでいることは、うまい生き方のひとつなのではないかな。

*1:イコール『過信』している、自意識過剰である

*2:強引にでも

*3:ただし同じ失敗を繰り返すことは、行動しないこと、以上の悪である