"自称負け組"の増幅機関

【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´):【武藤舞さん】アキバ通り魔事件から1年だぞー【2009年6月8日】- のウェブ魚拓を読んで。

世の中にこれだけ感情を持つ人たちが潜在していることに、恐怖を覚えた。

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『勝ち組』が没落するのはメシウマか

「他人の不幸は蜜の味」であることが脳科学的に証明される - GIGAZINEというニュースが話題になったことで、『他人の不幸は蜜の味』と感じるのは本能的なもので仕方ない*1と思う人も増えた。自分より優位な人間が没落することで、自分との相対的な距離が縮み、自分の地位があがった、と錯覚できるからだ。これは強弱の差はあれど、誰しも快よく感じることなのだろう。

『勝ち組』の中にも、応援したい人がいる

私は、イチローが大好きだ。心の底から応援している。彼は、幼少の頃から、多くの誘惑を断ち切って練習に励んできた。多くの犠牲を払って夢を掴んだ。今の世界で活躍する姿があるのも、多くの努力を重ねてきたからだ。

ところで、彼は『勝ち組』だ。しかし、彼の失敗を望む者はそう多くない。彼の失敗でメシウマすることはしない。皆、彼が成功し続けることを望んでいる。彼は、『勝ち組』であるにも関らず、皆から応援される立場にあるのだ。

幸せを分け与える存在

『勝ち組』であるイチローが応援される理由。それは、


皆に幸せを与える存在だから


であろう。

まだ記憶に新しい、'09 WBC でのこと。イチローは優勝の立役者となった。サムライJAPANの選手としてチームを鼓舞し、全てを優勝のために捧げた。世界の頂点で日の丸を掲げるために奮闘する彼の姿に、大和民族は心を打たれた。彼の決勝打は、私たち大和民族へ捧げる一打のようにさえ感じられた。


そう、彼は、自分の幸せを実現するとともに、私たちの幸せを実現したのだ。

『負け組』が羨むものとは

被害者の彼女は、容姿、環境、才能に恵まれ、多くの人に羨まれる存在だ。将来も有望で、いずれは素晴らしい業績を成したかもしれない。私たちのために何かを分け与える存在であったかもしれない。それなのに、それなのに、『負け組』の中には、彼女や、彼女の周りの人間、いわゆる『勝ち組』の不幸を喜んだ。自分たち『負け組』より、よっぽど幸せをもたらしてくれそうな彼女らを。


それはなぜか。『負け組』が羨んだのは、彼女の容姿でも、環境でも、才能でもなく、"現時点で持っている可能性"だったからだ。自ら『負け組』と認め、可能性を諦めている彼らは、自分の人生の価値を低く見積っている。自らの命の重さは、私たちが思った以上に軽い。だから、他人の命の重さにも、自らの命と同様の重みしか感じない。

いかにして『負け組』が生まれたか

ここにいる『負け組』は皆、心から腐った人間だと考えがちだ。しかし、多くの人は、望んで『負け組』になったわけではない。突然の事故や病などの不運に襲われたものかもしれないし、優れた教育環境が用意されなかったのかもしれない。良識のない両親に育てられたのかもしれない。それぞれ、私たちと異なる環境で、異なる背景を持って、今があるのだ。だから、全て、自己責任で片付けるべきではない。彼らと、自分と、環境がまるまる入れ替わっていたら、自分がそういう立場だったかもしれない。


私は、結果の平等を求める動きは嫌いだが、"機会の平等はなるべく保証されるべきである"と信じている。困難から逃げ、怠惰を繰り返した、自分で這い上がる気力のない『負け組』たちを擁護する気はさらさらないが、人より機会に恵まれずに『負け組』となってしまった人たちには同情する。何か這い上がるきっかけを与えることができればよい、と思っている。今の時代は情報のやりとりのコストが低くなったため、機会はネット上にいくらでも転がっているはずだ。

潜在的な恐怖

しかし、情報のやりとりのコストが下がったことは、負のエネルギーを増幅する一因ともなってしまった。同族が多く住む空間は、自らを正当化するにはうってつけだ。至極道徳的な、「命を大切にしましょう」なんて納得できない人間たちが、本音で語り、それを共有し合う、慰めの場だ。そうやって不満をガス抜きする効果があるのも事実だ。けれど、それらを真に受けて、自分たちこそ正しいと主張する人間もいる。またいつ、第二、第三の事件が起こるかわからない。


無敵の人には何を言っても無駄だ。守りたいものが多い人ほど、不利だ。だけど、彼らを救う*2ことを諦めてはいけない。彼らを放置するということは、第二、第三の事件がまた起こる可能性を受け入れる、ということだ。運が悪ければ、自分が被害者となるかもしれない。そんな世の中の存在を認めるということだ。私は、日本がそんな国であることを望まない。

"自称負け組"の増幅機関

ネットの負の部分として、今回の記事は象徴的なものだった。ある程度幸せに生きている人にとっては、胸糞悪いものだったに違いない。だけど、彼らは"自称負け組"であって、一方的に批判されるべきではない。彼らを批判することで、彼らの負のエネルギーは増幅し、両者の隔たりは、より拡がってしまう。


私は、彼らを批判する人たちに、もう一度よく、考えて欲しいと思う。彼らが『負け組』となりえたのは、彼らの責任とは限らない、ということを。そして、自分が彼らより余裕のある立場なら、ある程度譲歩してあげられるということを。


私ができることは、この程度の呼びかけくらいだ。だけど、やらずにはいられなかった。なんとかしたかった。だから、この記事をここまで読んで下さった方々には、もう一度よく考えて欲しい。自分がもし、彼らのような環境で、『負け組』として育ったときのことを。

どうしても許せない奴がいる

最後にひとつ。


冒頭のリンク先の記事を読んで、私は憤慨した。その相手は書き込み主のv速の住民ではない。このスレを編集したニュー速VIPブログ(`・ω・´)の管理人だ。編集によって解釈は捻じ曲げることができる。これだけワンサイドの書き込みがあったかどうかはわからないが、被害者蔑視、加害者擁護を抽出し、可視化させた。管理人は何を伝えたかったのだろう。この板の、非常識な感覚を共有している流れを、おもしろおかしく紹介したかったのだろうか。


確かに、2chには板の雰囲気というものがある。本気で被害者蔑視している者から、本気では思っていないがネタで書き込んでいる者まで様々ではあろう。だから、私が必死になってこんな記事を書いてるのを「ネタにマジレスカコワルイ」と思うかもしれない。けれど、私は思う。ネタ扱いしちゃいけないことがあるんだと。その一線は踏み越えちゃいけないんだと。


だから、私は、何よりも、この記事を編集した管理人を許せない。
先の記事は取り下げられているので、更生の余地はあるのかもしれない。管理人は今回の件で何かを学んでいることを望むが、私個人としての管理人に対する感情は終わってしまった。


私はもう、このサイトを観ることはない。

*1:だから正当化できる

*2:救うというとなんだか上から目線に見えるかもしれないが、決してそんなつもりはない